【現在進行形】アラフォー出産子育て論

1年と10ヶ月前、私は40歳にして男の子の親になった

子どもはいつかはほしいと思いながら気づくとアラフォーに。ぼやぼやしている場合じゃないと婚活をして何とか結婚にすべりこんだ。

そしてやってきてくれた息子。40にして抱いたわが子を私はこの2年、おそらくとっても神経質に育ててきた。と、ちょっと振り返る余裕ができたということか。親になる準備を特別に実感するのはおそらくみんな妊婦期間とかそんな感じだろう。だけど改めて思う。自分のそれまでの生き方=子育てのスタンスだと。つまり親になるかもしれない人たちはそれまでの人生を問われるのかもしれない。

個人的に親になってみて大切だと思うことを箇条書きにしてみると。

①わが子を無条件に受け入れ信じること。

特に小さいうちは本当にこの受け入れること待つこと、がとっても大切だと感じる。小さい心でカラダで精一杯生きて考えている子どもの気持ちをどれだけ慮ることができるか。日ごろの声掛けにも表れるはず。

②子ども自身に選択をさせること。毎日の服もおもちゃも遊びも食事も。

③体のしくみ、はたらきなどに関する知識。(ちまたにあふれる健康情報ではなく免疫のシステムなど体は絶対に間違わない仕組み働きがあること)これらを知っていることで風邪や皮膚の症状を正しく観察することができるし薬を使うタイミングも考慮できる。

④ヒト・モノ・おカネの動きをリアルに知っていること。
「知る」には限界があるけれど、自分の世界にないものを排除する人にはなりたくない。

おそらく細かく考えるとまだまだあると思う。そして子どもが成長するにつれて増えるのかもしれないが上記のことはきっと私の中では基本中の基本で不変のことだといえる。

①わが子を無条件に受け入れ信じること。


私は毎日小さな実験をしている。息子1歳10ヶ月は毎日いろんな要求をしてくる。まだしゃべれないのだけど、「んっんっ」「うん(肯定」「うーん(否定)」、ときどき「マ マ」最近「パッパ」だけで会話をしている。「んっん(あれとって)(絵本よんで)(ふくろから出して)」言い出すと絶対に引かない。

何か目先の変わったものでごまかそうとしても、今の要求をくり返す。あるときはご希望どおりに、あるときは家事などで手が離せなくてリクエストどおりにはできない。毎日の小さな実験の一つは出来る出来ないの状況において「できない、無理」だけを伝えるとき、もう一方は目をみて理解出来る出来ないに関わらず、今これをしなくてはいけない理由を伝えるとき。

何も言われずただ出来ないだけではもちろん納得いかない。ずっと「んっん」をやめないし泣き叫ぶこともある。しかし目を見て理由を伝えるときは彼なりの理解を示しリクエストをやめる場合もある(もちろん100%ではないが)。今のこれが終わったらやると約束しているので、自分の用事が終わったら絵本をよむなどリクエストに対応する。

小さいながら自分が受け入れられていることは分かるし、何やらわからないけど、ママは今無理なんだといちおは理解する。幼児教育の先生に言わせるとその家事は今しなくてはいけないですか?何をしていても子どものリクエストには全力で的な話しもあるかもしれない。が、お母さんは毎回そうもいかない。だが「もう忙しいんだから!!」とイラついて怒るのは簡単だけど、ひと工夫、ひと我慢?(笑)できる自分でありたいと思うのだ。

②子ども自身に選択させること。


人は毎日9000回もの選択をしているそうだ。道順、現金かカードか、何を食べるか、などなど。私の職業はキャリアコンサルタントだが、ある方が「田舎と都会の学生の違いの一つは決断する力。例えば都会だと電車ひとつもどれに乗るか選択。JRか私鉄各線、地下鉄など。田舎だと自転車かバイクかバスかくらい。この毎日の積み重ねが大きな違いになるかもなあ」と言っていてなるほどと思った。

いちがいに都会がいい、田舎がダメというわけではもちろんないが、どうしても選択肢の数は弱みだろう。大事なのは「自分で決める」という習慣だと思っている。生活の小さなこと一つひとつ自分で決めてきた蓄積がある子はきっと何かの軸ができるのではないか。それがきっと将来の自立の第一歩になると信じている。

私自身、自分の記憶にある大きな決断は15歳。どこの高校にいくか。自分で決めたから責任も自分にある。両親はおそらく異論があったろうが自分で決めなさいとしか言わなかった。その後の人生の大きな選択(大学、就職、結婚、離婚、会社員を卒業フリーランスへ、再婚などなど)今思えばなかなか危なっかしいことばかりだったけれど娘である私を信じてくれているという根拠のない自信が私にはあった。

自分で決める大切さは責任とセットで他責にできないことだと思う。自分の選んだ道をより素晴らしいものに(寄り道や道変更することも含め)していくのは自分次第なのだ。

③体や健康に関する知識をつける。

私がカラダについて学び始めたのは約8年前くらいから。私には慢性疾患がある。時の首相がくしくも同じものを患っていたためある程度の知名度があるものになったもの。一生治らないと主治医に言われた。もちろん日常生活はひどくならなければ問題はない。子どもも産める。

でも治らないといわれても治った人もいる。どうやら一般的な医学(西洋医学)ではない世界があるらしい。そこから8年、メディカルアロマ、ホメオパシー、東洋医学、などなど。試し、学び私の疾患は免疫にかかわるものだったのでカラダのシステムも学んだ。口にするものはかなり気を使ってきた。

そんな私が母になった。
これだけ気を付けてきたけれど、息子は3か月ころから乳児湿疹がすごかった。皮膚の症状、湿疹は排出。母体からもらったいらないものをデトックスしているのだ。その頃の息子の写真はもうグロテスクすぎて見るたびに心が痛む。顔や手足から浸出液が出て一般的にイメージする赤ちゃんの肌とは程遠かった。

結果的に湿疹はきれいになるのに約1年半かかり、でも本来のツルツルの肌に戻った。ステロイド含む薬の類はいっさい使っていない。酷いときは朝起きたら布団が血だらけの日も浸出液だらけの日もあった。何より息子は頑張った、痒さはあるけれど笑っていた。何度その笑顔に助けられたか分からない。

なぜそんなにしてまでと思うかもしれない。私はどちらというとアトピー体質、夫も花粉症などアレルギー体質。この親から生まれた息子はステロイドによってアトピーにしてしまうわけにはいかなかった。ステロイドやアトピーのことはここでは詳しく書かないけれど、これはいろんな考え方がもちろんある。ただ私たち夫婦としてはその選択はしなかったということ。

親が子どもに出来ることは意外と少ないのかもしれないと思う。でも乳幼児期、からだをつくる大切な時期に免疫力や基礎代謝の高いカラダを作ってやることは特に母親の大事な大事な役目だろう。赤ちゃんのときから何を飲み、食べてきたか、それらか全てその子の体に心に影響するのだ。そのために両親が体のシステムや食の知識など適切な知識を身に着けることは必須だ。

④ヒトモノカネのリアルを知る。
ヒトモノカネとはひと昔前も今も?!企業や起業になくてはならない観点。

ちょっと話は飛ぶが先日は各地で成人式。私が住む地域でも振袖の華がある女子たちがたくさんいて眩しかった。その振袖、最近はヤフオクで5万円くらいで買って、着たあとはまた売って差額はお小遣い、という考えもあるそうだ。えー女性としては自分が来た着物を娘が着るのは憧れと思っていたけれど(実際息子なので無理だけど涙)、そんな時代なのねと思う。

それが良い悪いではなくて、まさしくヒトモノカネ、時代はそんな風に動いているんだ。親という立場だけではなく人はやっぱり自分の今まで持ってきた価値観に縛られがち。個人でその考えを持つことは何も悪くないけれどそれを誰かに特に子どもに押し付けたり誘導したりし始めることで害になる。

子どもは親をよく見ているし優しい。職業柄、学生のキャリアコンサルティングをしたら「○○という会社に内定していたのですが、親に言ったらそんな会社聞いたことがないと言われ辞退しました」○○は新興企業でありながら優良企業ということも珍しくない。その企業がどうあれ、自分の世界にないという理由だけでジャッジするのはとても危険だ。(実際これには自分で決めれないという子供側の問題もあるけれど。)

分からないなら口出すな、と言いたいところだけれど子の将来が心配だからこその親心なのはよくわかる。が、アドバイスはしても最終ジャッジをするのは本人なのだ親ではない。その余白を残しておくことは子どもの成長にきっと欠かせない。

自分の頭で考え、自分で選択する、新しい選択しや解を創り出す。
わが子にはこうであってほしいと願う。もちろん何より先に健康で強い体と心!ああ、子育てって最高にクリエイティブな仕事だ!